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沖 一幸

Author:沖 一幸
定年退職者の素人が勉強の為に個人の思い等素人の目線で色々書いていけたらいいな〜と思い作りました。ご指導応援宜しく御願いします。

尚、出会い系のコメントやトラックバク及び宣伝書き込みは無条件に削除し、当局へ通報します。

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今日から4月、今日は何の日でしょう?


今から63年前の今日の早朝、1945年4月1日 読谷嘉手納の海岸から米軍が上陸する。

zyouriku

4月1日早朝から米軍機は北飛行場(現在の読谷村役所一帯)、
中飛行場(現在の嘉手納飛行場)方面に対地攻撃を加えた。
総攻撃の時刻は
0830とされた。
0530艦砲射撃開始。
0700頃から熾烈な艦砲射撃を開始した。
0745航空攻撃開始。
0800上陸用舟艇移動開始、第7波までが陸地を目指した。
同時に上陸準備射撃が開始された。
0830攻撃第1波が達着した。
0830頃から米軍の上陸用舟艇が読谷、嘉手納海岸に達着して上陸を開始した。
沖縄上陸は、全部隊が全く信じられないほど簡単に行われた。


日本軍の砲兵隊陣地からの妨害もなかった。
日本軍はおろか、地雷原もなく、反撃どころか抵抗もない無血上陸した。
北、中飛行場は
1130までに米軍が占領確保した、
上陸地点正面には、特設第1連隊と独立歩兵第12大隊第2中隊が
配備されているだけで、第32軍としてはこれらの部隊に大きな抵抗は望んでおらず、
警戒と前進遅滞を期待した程度であり、北、中飛行場付近の戦闘には
増援はもとより砲兵による支援も計画していなかった。
特設第1連隊は、
4月1日、米軍の上陸を迎えたが、砲兵もなく、
夜間を待って斬り込みを実施する以外に打つ手がない状態であった。
米軍の上陸と同時に各部隊は特設第1連隊長の指揮下に入る計画であったが
連隊長が確実に掌握したのは、
独立歩兵第12大隊第2中隊と要建第6中隊のみであった。
要建第6中隊は石嶺久得(現在の那覇市)に陣地配備され、
現地死守の決意で陣地強化に努めると共に、
夜に入り戦車攻撃のため数組の肉薄攻撃班(爆弾を抱え戦車に大当りして自爆)
を派遣し相当の戦果が報告された。
独立歩兵第12大隊第2中隊の位置
   中隊主力 石嶺久得(現在の那覇市) 
   第1小隊 座喜味西方海岸(読谷村)
   第2小隊 座喜味東方高地(読谷村)
 
4月2日0200頃、第1特設連隊長は要建第6中隊に兼箇段付近
(現在のうるま市)の占領を命じた。
特設第1連隊は2日夜池原(現在の沖縄市)に移動し、
3日0100頃要建第6中隊に池原西方(現在の沖縄市)の
56高地の占領と池原南方部落入口の県道橋の破壊を命じた。
各部隊を池原において掌握し
4日0330頃国頭への転進を開始した。

沖縄尚学,準決勝に進出を決めました。

 沖縄尚学は第2試合で天理(奈良)に4−2で勝利し、準決勝に進出を決めました。

阪神甲子園球場で開かれている第80回記念選抜高校野球大会は第12日目の2日、準々決勝2試合が行われ、第2試合で天理(奈良)と沖縄尚学(沖縄)が対戦。

沖縄尚学は同点で迎えた五回、伊志嶺のスクイズで勝ち越し。上原、東浜の継投で逃げ切り4−2で、9年ぶりの準決勝進出を果たした。

沖縄尚学は2回、制球に苦しむ先発上原亘が天理打線につかまり1点先制を許すも、3回に一番伊古聖の三塁打を含む3連打で2得点して逆転。

4回に本塁打されて試合を振り出しに戻されたが、五回に先発上原亘の代打金城圭右の左前打を足場に1点を加えて勝ち越し。

9回にも1点を加えて4‐2で天理を振り切った。

これで聖望学園、千葉経大付、東洋大姫路、沖縄尚学の4強が出そろいました。

沖縄尚学は3日、準決勝第2試合(午後1時半開始予定)で東洋大姫路(兵庫)と決勝進出を懸けて対戦する。

勝利を願い応援します。

頑張れ沖縄尚学高等学校,皆様、応援、誠にありがとうございます。


沖縄尚学高等学校のHPです。

http://www2.okisho.ed.jp/menu.htm

沖縄尚学高校、決勝進出おめでとう。

沖縄尚学高校、決勝進出おめでとう。

沖尚−東洋大姫路(兵庫) 速報 準決勝 第2試合

東洋大姫路(兵庫) 1 0 0 0 0 0 1 0 0 2
沖縄尚学 (沖縄) 0 0 0 0 0 0 0 4 X 4


決勝進出をかけて試合に挑んだ沖尚ナイン。東洋大姫路(兵庫)に先制されたが、8回裏逆転に成功し明日の決勝進出を決める。

沖縄尚学高校おめでとう。

追伸

沖縄尚学が快進撃 頂上一直線優勝目前。

沖縄尚学が決勝進出 東洋大姫路(兵庫)を4−2で下す。

第80回選抜高校野球大会第13日目の3日、沖縄尚学は準決勝第2試合で東洋大姫路(兵庫)と対戦、
八回裏に一気に逆転、4−2で勝利を収め、9年ぶりの決勝進出を決めた。

大会第14日目の4日、埼玉県の聖望(せいぼう)学園と優勝を争う。

頑張れ 沖縄尚学、優勝は目前だ。

沖尚試合速報

埼玉県の聖望(せいぼう)対 沖縄尚学の優勝戦

5回目の結果は


聖望 0−9 沖縄尚学

で沖縄尚学ペースで試合は進んでます。

必勝 沖縄尚学 聖望も最後まで諦めずに頑張って下さい。

沖縄尚学 優勝

沖縄尚学 が 優勝 しました。

良く頑張った。

沖縄県の誇りです。

優勝おめでとうございます。


シーミとは

シーミー

清明祭、毎年、春分すぎから4月中に行われる行事です。

墓

「シーミー」は
中国から伝来した習慣で、旧暦の3月の吉日を選んで行われる祖先祭。
中国の暦法にある二十四節季の一つ「清明」(せいめい)の季節に行われます。
新暦では4月ごろに当たりますが、何日に行うかは家族や親族が話し合って決めます。
中国から伝来した18世紀頃には農事に関し、祖霊に加護を求めるものであったようですが、だんだんと沖縄独自の祖先供養の行事に変化し、現在では主に沖縄本島中南部で行われています。 

 尚穆(しょうぼく)王17年(1768年)の項に始めて、毎年清明祭を行うことを定めるという記述があり、この年以降、年中行事のひとつとして行われるようになったようです。
首里士族を中心に、徐々に地方農村へ普及、伝播していきました。本島北部や先島地域(宮古・八重山)は例外で、士族階層だけに普及は留まったようで、ごく一部だけに広まったり、簡略化されていたりしているようです。

清明祭は神御清明(カミウシーミー)と清明祭(シーミーサイ)の2つに区別されます。
神御清明は清明の入り日に行うことが多いですが、最近は入り日に近い休日に行う傾向があります。

 沖縄のお墓は亀甲墓といってとても大きく、お墓の前には庭のようなスペースがあります。
一般的な清明では、まず門中墓の周辺の草刈り、清掃を行い、最後に各自の持参したお重の料理や、餅・お菓子・果物を供えます。
そして一人一人線香(本土のものとは異ります。平ウコウーとも言う)を焚いたり、紙銭(ウチカビ=あの世のお金)を焼いて先祖供養をします。
 門中(父系の血縁)墓の前で、供え物を墓前にそなえ、ひととおり、祖先供養の儀式(子孫の繁栄を祈る儀式的な意味合いが強い)が済んでから、供えていた重箱料理をみんなで食べるのです。
それもお墓の前で。

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 シーミーは日頃疎遠な親戚と顔を合わせる(親交を深める)またとない機会。
久しぶりにあう従姉妹・従兄弟たちや親戚たちとわいわい楽しく騒ぐために参加するっと言っても過言ではないかもしれません。
清明には門中墓を中心にしてその血縁者がみずからの近い祖先に対して行うものと、神御清明(カミウシーミー)といって、遠い伝承上の祖先に対して、宗家(元屋)を中心に地方に分散した分家筋の代表者も参加して行われるものがあります。

 この時期、観光客の皆さんがお墓の前を通り、異様な光景を目撃してビックリした、と言います。
沖縄独特のお墓である亀甲墓の墓前にゴザやブルーシトが広げられ、大勢の人が重箱の料理を食べ、泡盛やオリオンビールを酌み交わしているを目撃して。
これは、お墓にピクニックに来たのではなく、先祖の霊を慰める目的で、門中(父系の血縁「親戚」)が各地から墓に集まって墓前に香をたき、泡盛や重箱を供えて、にぎやかに歓談しているのです。

 最近では、本家の家族や近い親戚だけで行なったり、それぞれ別のシーミーと掛け持ちする人も増えた為、小人数化の傾向にありますが、それでも30〜50人程度参加するシーミーは珍しくありませんし、もっとも以前は、100人以上参加するシーミーもあったというから、先祖を敬う沖縄の風土って素晴らしい習慣だと思います。

 亡くなった人をいつまでも大切にする沖縄の習慣はそれ自体にも意味がありますが、なによりも、大勢の親戚が集まって、先祖をも抱きこみながら繰り広げる壮大なコミュニケーションの手段こそ、我が沖縄の誇る文化のひとつと言えるでしょう。
沖縄ではあの世とこの世のつきあいが身近なんです。
仏前だけの清明祭をする地域も中にはあるようです。
この時期、休日になるとあちらこちらで墓の前でピクニックしている光景をみることができるかと思います。

年中行事の多い沖縄に春のイベント「清明祭」の季節がやって来た。
清明祭と書いて、地元では「シーミー」と呼ばれています。
「シーミー」は中国から伝来した習慣で、旧暦の3月の吉日を選んで行われる祖先祭です。
清明入りした最初の日曜日の6日、昨日の天気予報では雨と成っておりましたが、本番の今日は「晴れ」で暑い「シーミー」日和。


我が門中は清明の月に入って最初の日曜日を「門中清明祭」の日と決めていますが、沖縄運動公園内の「祖先の祭られているお墓には70名余の一門の方々が集まった。」
お墓の周りの雑草を刈り取ったり、墓前を掃き清めたりしたあと、花や重箱、お酒、果物を供え、紙銭を焼いて祖先の霊を拝む。
先祖を一つにした人々が一ヶ所に集う機会があまり無いだけに清明祭が来るのをとても楽しみにしているお年よりも多い。
 7名兄弟の広がりが多く、清明祭は、其々の兄弟単位で行われておりますが、その兄弟達を「中元」(ナカムート)として、「祖先祭」つまりシーミが行われます。
僕の方は6男原で「泡瀬○○門中」になり、沖縄運動公園内の門中墓に御参りに行きました。
余りにも広がりが多い為の処置で、当然本家(元屋)に御参りに行っても入りきれない為に、毎年元屋には、代表を派遣しています。
昨年の清明祭の日から、昨日までに生まれた子供を報告したりと、にぎやかな清明祭でした。

浜下り(はまうり)とは?

浜下り(はまうり)とは?

『沖縄大百科事典』下巻には(沖縄県内においては)「海浜に下りて災厄を祓い清める習俗、または旧暦3月3日に御馳走を持って海浜へ行き、潮に手足を浸して不浄を清め、健康を祈願して楽しく遊ぶ行事」とある。

 また老若男女が浜辺で過ごしたり、女性だけが浜へ下りる地域などがあり、その他この日に海で亡くなった死者の霊を弔う地域もあるようです。
 浜下りの由来には美男に化けた蛇の子供を身籠もった女性が浜へ下りて身を清め、洗い流したという伝説がある。

浜下り伝説由来とは?

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浜下りの由来

昔々のその昔、ある御殿に姫が生まれた。
それはそれは美しい姫君でして、有りっ丈の愛情を注ぎ育てて来ました。
近隣の村まで噂が立つほどの美貌に育った姫君が17,8歳になった頃、
両親は姫君に悪い男が言い寄らないようにと、御殿を二重にも三重にも番人を置きました。
その姫君は、7重、8重の奥の部屋に居るにも拘らず、毎夜、夜中に騒がしくなる。
異様に感じた奥方は、姫を呼んで訳を聞くことにした。

奥方は、姫に尋ねた。
「姫よ、病気ではないかと思うがどこか悪いのか?」
姫君「別に悪い処はありません。」
姫君は「ただ、此処毎晩の様に、美声の好男子がやって来るのです。
二人で楽しい事をします。」と答えると姫君は何故か、顔を赤らめた。

奥方は「誰だろうね?」と心配して姫に聞いてみたが姫君にも何処の誰なのか、分からないらしい。

奥方は早速、物知りの所に行って、知恵を借りることにした。

物知りは、すぐに言った。
「これは、これは、奥方様。姫さまは魔物に取り付かれていらっしゃる。
今夜、姫君の部屋の襖[ふすま]をちょっと開けて覗いてみると判ります。」と物知りは答えた。

その夜になると、殿様と奥方は姫の隣室にやって来て、襖の蔭から娘の様子をうかがった。

真夜中、案の定、こっそりと美声の好男子が忍んで来るではないか!
殿様と奥方は、顔を見合わせて「ああ、これは何たることか!」と、つぶやいた。

奥方は、翌日、又、物知りを訪ねた。

奥方「やっぱり、美声の好男子がやって来たよ。
その上、何といっていいのか・・・、そのオ、そのオ〜 二人の世界を作っているんです。」

物知り「そ、その美声の好男子は魔物ですよ。
奥方様が紡いでいる麻の糸、着物を紡ぐ長い長い糸に針を通して、
男の髪に挿すとよかろうと思いますよ。男の正体が分かるはずです」と物知りはアドバイスした。

奥方は、すぐに御殿に戻って姫に命じた。
「今夜、あの美声の好男子が来たら、“かたかしら”(結髪、琉球王朝時代の武士の髪形)にこの針を挿しなさい」と

姫君は、すぐに「はい、そのように致します」と答えた。(昔の封建時代は、親の言うことを聞かなければいけなかったから、
素直に聞いた)

奥方は、姫君に「明日、男の髪に挿した糸を辿って、二人で跡をつけてゆくのですよ」と考えを言った。
翌朝、奥方と姫君は、その一本の糸を辿って行った、糸はどんどん延びて行く。
ところが姫君の住んでいる御殿からは、遠く離れた遠い、遠い山の麓[ふもと]にたどり着いた。
糸の端は、暗い洞窟の中へと続いている。

恐る恐る暗い洞窟の中を中を覗いてみると、・・・きゃっ! こ、これは。
暗い洞穴[ほらあな]の中に目ン玉だけが二つ、らんらんと輝やいている。
それは、何と大きなハブだ! これア、た、たいへんだ。

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二人は腰を抜かしそうになった。
転けつつ、ようやく御殿に戻ったが、じっとしてはいられない。知恵を借りようと、震えながら物知りの家に駆けこんだ。
物知りは「奥方様、姫さまを連れて海においでなさい。誰も踏んでいない浜の砂を踏みしめて、海水で下半身をきれいに洗うようになさいませ」と告げた。

翌朝早く、奥方様は姫君を伴って、海に出かけた。誰も踏んでいない白砂を通り抜けて、物知りの言った通りに、海の水で姫の身体をきれいに洗った。
・・・すると、どうでしょう!姫君の身体から足元へ、ウジャウジャと小さなハブの子が、何匹も流れてきた。
姫君はもう一度海に入って、潮できれいにみそぎをした。このようにして、もとのような身体になった。

これが旧暦の3月3日のことだったのです。

その後「琉球の王様が命令を出して、上も下も士族から百姓まで、この日には、ウジュー(重箱)を作って、浜に下りて一日を遊ぶようになった。
“浜下り”は、今や塩日狩りに形が変わって来ているのですが、これも時代の変化に対応した、行事の一つ、昔の人の知恵を何時までも大切に伝えたいものだ。

米兵の犯罪と日米地位協定

米兵犯罪と日米地位協定

政府は毅然とした態度示せ,米少年憲兵が基地内に連行


 懸念していたことが起きた。13日、北谷町美浜の衣料品店で窃盗の容疑で捕まった在沖米海兵隊員の息子2人を、遅れて現場に到着した沖縄署員の少年への事情聴取を拒否して、米憲兵隊員が拘束して基地内に連行した。
2人の身柄は、憲兵隊員が到着する前に店員が現行犯で押さえていた。
日米地位協定では日米安保条約に基づき1960年に発効し、米軍とその構成員の地位や基地の管理、運用を定める協定により在日米軍人・軍属の容疑者は、日本側が現行犯逮捕した場合を除き、起訴までは米側が身柄を拘束し、起訴後に日本側に引き渡すのが原則となっている。
日米合意事項では「最寄りの日本の警察署などに連行する」と定められており、それに違反することにもなる。
今回の場合は、民間地域で日本側が現行犯逮捕しており、日本の警察が身柄を拘束するべきで有るにもにも拘らず、日米地位協定を無視して基地内に連行しており、明らかに、地位協定に反するのが明らかであるにも関らず、日本政府はそ知らぬ顔をしている。
米兵犯罪防止のため日本側と米軍が共同巡回することも検討されているが、まさに今回起きたような事例が懸念されていた。
日本国内で起きた犯罪の容疑者は、日本の警察に逮捕され、日本の司法によって裁かれる。
それが当然だ。しかし、現在の日本では、それが当然ではないのである。
不平等ともいえる日米地位協定があるからだ。
米軍基地が集中する本県では、そのひずみが如実に表れる。
米兵女子中学生暴行事件を受け、政府は警察と米軍との日米共同パトロールを対策として打ち出した。
しかし逮捕現場に警察と憲兵が一緒にいた場合、今回と同じ問題が起きるのであるし、何の為の共同パトロールなのかとの問題もある。


 外務省は逮捕をめぐるトラブル防止のため
(1)米軍憲兵は参加しない
(2)身柄の確保や逮捕する権限は県警側―とする方向で米軍と調整している。


しかし県警側はこれで問題が解決するとはみていない。
憲兵が現場にいなくても警察が逮捕状請求手続きをしている間に私服軍人が連絡し、憲兵が身柄を拘束してしまうと危惧するからである。
今回の、美浜で発生した事件はまさにその危惧が現実となったといえよう。
 米少年2人は衣類を盗んだ疑いで店員に現行犯逮捕され身柄を確保されていた。
しかし先に到着した憲兵が、遅れて到着した沖縄署員の少年らへの事情聴取を拒否し、基地内に連行。逮捕当日の13日には解放している。
 地位協定に問題があることは明白なのに、日本政府は口を開けば「運用改善で」と強調し、「改定」には及び腰だ。
 米兵犯罪の再発防止を声高に叫ぶのなら、地位協定を改定し「不平等」を解消するべきである。
米軍人であろうが、軍属であろうが、日本国内で罪を犯せば、日本警察に逮捕され、刑罰を科される。
このシステムを確立しなければ犯罪は抑止されないだろう。
 「地位協定に守られているという意識が米兵たちにあるのではないか」という指摘がある。
現状の不平等さからすれば、そういう考えを持たざるを得ない。
 日本政府の弱腰の姿勢には、ほとほとあきれ果てる。
毅然とした態度で地位協定問題を解決するのが政府の責任ではないのか。
今回の事件を契機に政府は、根本から姿勢を改めるべきである。
米兵犯罪は沖縄だけの問題ではない。
 米側は事件発生のたびに、綱紀粛正に努めるとするが、凶悪事件発生後も米兵犯罪は続発しているのはなぜ。
米軍の統率力は機能していないと言わざるを得ない。
 すべての米兵犯罪で速やかに身柄を引き渡すなど、地位協定の抜本的改定なしには、後を絶たない米兵犯罪の捜査にも大きな支障を来す。
地位協定が日本側の捜査の壁となり、犯罪者の逃げ得を許すことが、あってはならない。
一体、米軍による悲しい事件事故が何回起これば、日本政府は地位協定の根本的な見直しをするのか。
県民の気持ちを踏みにじって日米の信頼関係が成り立つはずがない。
日米地位協定改定を求める県民の声が全国に広がる事を期待しているし、全国民も明日は我が身かも知れない米軍犯罪を真剣に考えて欲しい。

自民党と公明党に抗議する

後期高齢者医療「制度を決めた自民党と公明党に抗議する」

長寿医療制度は、75歳以上の方々に「生活を支える医療」を提供するとともに、長年、社会に貢献してこられた方々の医療費をみんなで支える「長寿を国民皆が喜ぶことができる仕組み」です,と厚生労働省のホームページに掲載されている。
後期高齢者医療制度の不備が、県内を含め全国で次々に露呈している。
保険証の未送達、保険料の算定ミス、死亡でも保険料の天引きと、制度の根幹を揺るがすトラブルの続出である。

 後期高齢者医療制度は、医療と医療費の適正化を目的に、この4月からスタートした。
 制度の狙いは、高齢者の心身の特性に合わせた医療・介護サービスの連携・提供、そして高齢者間や高齢者と若年者層との世代間の医療費負担の公平化にあると、国は強調してきた。
しかし、ふたを開けてみるとこのありさまである。行政はしっかりしてほしい。

 制度は4月1日にスタートし、間もなく年金からの医療費の天引きも始まり、それなのに、医療を受けるために必要な保険証すら手元に届けられていない。
その数は、4月9日現在で全国で6万3000人、県内でも約1400人に上っている。
 国がいう高齢者の生活の質を高めるための医療の適正化どころの話ではない、本来1割負担のはずが、保険証がないことを理由に、医療費の全額負担を求められるケースも出ている。
 届くまでの暫定措置とはいえ、高齢者に医療費を全額負担させる、金銭的な負担は精神的な負担につながる。
高齢者の通院や入院、治療の動きを萎縮(いしゅく)させかねない。

 国の狙いが「医療の適正化」ではなく、「医療費の削減」に重きが置かれている感を強く受ける。
 2006年度の推計では、国民医療費は総額約34兆円。このうち高齢者の医療費は11兆円と3割を占めている。
 膨張する高齢者の医療費に歯止めをかけ、負担力のある高齢者たちへの医療費の受益者負担と若年層の負担軽減を図るのが、同制度のいう「医療費の適正化」である。

 75歳以上という有病者が増える年代を、他の医療保険から切り離し、独立した保険制度に入れることで国は管理を強化できるし、これも制度導入の当初から「粗悪医療」「病院追い出し」などの弊害が指摘されてきた。
 後期高齢者の保険制度と他の保険制度を別枠にすることで、診療報酬制度も別建てにする構想も論議されているが、この制度は「現代のうば捨て山」との高齢者からの不安も出ており、子や孫の扶養にある高齢者も、独立して医療費を支払わされるため、保険料の負担は高齢者の懐を直撃する事となっている。

 厚生労働省の試算では、その保険負担額も7年後には現行より1万3000円増え、8万5000円に値上げが想定されている。
 不備は制度の周知不足や役所の事務能力にとどまらないし難解で、負担増を強いる高齢者に厳しい「制度」そのものである。

政府は国民から徴収した保険料で無駄な建造物を作り、法律を拡大解釈しての無駄使いで、保険制度を破綻に追い込み、その穴埋めを国民に押し付ける「盗人猛々しい」行為を平気で行っている。
民間企業なら「犯罪で処罰を受ける」のだが、平然と他人事の様に振舞う態度は「極悪な詐欺師」そのもの、振り込め詐欺と何ら変わらない、

年金は破綻させ、支払いはと言うと、減支給、その、少なくなった年金からは強制で医療保険料を差し引く、只でさえ、年金だけでは生活出来ない様な制度にしておいて、さらに保険料を強制徴収、これが政府の言う「長寿を国民皆が喜ぶことができる仕組み」と言えるのか。

官僚や政府役人は、今や「国民の奉仕者」ではなく、国民を食い物にする「極悪詐欺集団」に変貌している。
政治家も、国民の為の政治は行わずに、政党の為の政治に終止しており、衆議院議員選挙を見据えた国民騙しの広報に終止しているのが実情ではないでしょうか。

無駄使いで贅沢し成れた為に、贅沢をする為の資金を得る為に、無駄使いの官僚や官庁の削除と責任追求はせず、ガソリン税をも再び上げる事しか考えておらず、もはや日本の政治を任せられる状況に無い、60余年の腐れ縁がそのまま続けば、今の75歳が何時しか60歳、50歳と引き下げられて、国民は地獄を見る事に成りかねない。

この制度を強行採決で作った「自民党と公明党に抗議する」
国民はだまされないぞ〜

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