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沖 一幸

Author:沖 一幸
定年退職者の素人が勉強の為に個人の思い等素人の目線で色々書いていけたらいいな〜と思い作りました。ご指導応援宜しく御願いします。

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シーミとは

シーミー

清明祭、毎年、春分すぎから4月中に行われる行事です。

墓

「シーミー」は
中国から伝来した習慣で、旧暦の3月の吉日を選んで行われる祖先祭。
中国の暦法にある二十四節季の一つ「清明」(せいめい)の季節に行われます。
新暦では4月ごろに当たりますが、何日に行うかは家族や親族が話し合って決めます。
中国から伝来した18世紀頃には農事に関し、祖霊に加護を求めるものであったようですが、だんだんと沖縄独自の祖先供養の行事に変化し、現在では主に沖縄本島中南部で行われています。 

 尚穆(しょうぼく)王17年(1768年)の項に始めて、毎年清明祭を行うことを定めるという記述があり、この年以降、年中行事のひとつとして行われるようになったようです。
首里士族を中心に、徐々に地方農村へ普及、伝播していきました。本島北部や先島地域(宮古・八重山)は例外で、士族階層だけに普及は留まったようで、ごく一部だけに広まったり、簡略化されていたりしているようです。

清明祭は神御清明(カミウシーミー)と清明祭(シーミーサイ)の2つに区別されます。
神御清明は清明の入り日に行うことが多いですが、最近は入り日に近い休日に行う傾向があります。

 沖縄のお墓は亀甲墓といってとても大きく、お墓の前には庭のようなスペースがあります。
一般的な清明では、まず門中墓の周辺の草刈り、清掃を行い、最後に各自の持参したお重の料理や、餅・お菓子・果物を供えます。
そして一人一人線香(本土のものとは異ります。平ウコウーとも言う)を焚いたり、紙銭(ウチカビ=あの世のお金)を焼いて先祖供養をします。
 門中(父系の血縁)墓の前で、供え物を墓前にそなえ、ひととおり、祖先供養の儀式(子孫の繁栄を祈る儀式的な意味合いが強い)が済んでから、供えていた重箱料理をみんなで食べるのです。
それもお墓の前で。

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 シーミーは日頃疎遠な親戚と顔を合わせる(親交を深める)またとない機会。
久しぶりにあう従姉妹・従兄弟たちや親戚たちとわいわい楽しく騒ぐために参加するっと言っても過言ではないかもしれません。
清明には門中墓を中心にしてその血縁者がみずからの近い祖先に対して行うものと、神御清明(カミウシーミー)といって、遠い伝承上の祖先に対して、宗家(元屋)を中心に地方に分散した分家筋の代表者も参加して行われるものがあります。

 この時期、観光客の皆さんがお墓の前を通り、異様な光景を目撃してビックリした、と言います。
沖縄独特のお墓である亀甲墓の墓前にゴザやブルーシトが広げられ、大勢の人が重箱の料理を食べ、泡盛やオリオンビールを酌み交わしているを目撃して。
これは、お墓にピクニックに来たのではなく、先祖の霊を慰める目的で、門中(父系の血縁「親戚」)が各地から墓に集まって墓前に香をたき、泡盛や重箱を供えて、にぎやかに歓談しているのです。

 最近では、本家の家族や近い親戚だけで行なったり、それぞれ別のシーミーと掛け持ちする人も増えた為、小人数化の傾向にありますが、それでも30〜50人程度参加するシーミーは珍しくありませんし、もっとも以前は、100人以上参加するシーミーもあったというから、先祖を敬う沖縄の風土って素晴らしい習慣だと思います。

 亡くなった人をいつまでも大切にする沖縄の習慣はそれ自体にも意味がありますが、なによりも、大勢の親戚が集まって、先祖をも抱きこみながら繰り広げる壮大なコミュニケーションの手段こそ、我が沖縄の誇る文化のひとつと言えるでしょう。
沖縄ではあの世とこの世のつきあいが身近なんです。
仏前だけの清明祭をする地域も中にはあるようです。
この時期、休日になるとあちらこちらで墓の前でピクニックしている光景をみることができるかと思います。

年中行事の多い沖縄に春のイベント「清明祭」の季節がやって来た。
清明祭と書いて、地元では「シーミー」と呼ばれています。
「シーミー」は中国から伝来した習慣で、旧暦の3月の吉日を選んで行われる祖先祭です。
清明入りした最初の日曜日の6日、昨日の天気予報では雨と成っておりましたが、本番の今日は「晴れ」で暑い「シーミー」日和。


我が門中は清明の月に入って最初の日曜日を「門中清明祭」の日と決めていますが、沖縄運動公園内の「祖先の祭られているお墓には70名余の一門の方々が集まった。」
お墓の周りの雑草を刈り取ったり、墓前を掃き清めたりしたあと、花や重箱、お酒、果物を供え、紙銭を焼いて祖先の霊を拝む。
先祖を一つにした人々が一ヶ所に集う機会があまり無いだけに清明祭が来るのをとても楽しみにしているお年よりも多い。
 7名兄弟の広がりが多く、清明祭は、其々の兄弟単位で行われておりますが、その兄弟達を「中元」(ナカムート)として、「祖先祭」つまりシーミが行われます。
僕の方は6男原で「泡瀬○○門中」になり、沖縄運動公園内の門中墓に御参りに行きました。
余りにも広がりが多い為の処置で、当然本家(元屋)に御参りに行っても入りきれない為に、毎年元屋には、代表を派遣しています。
昨年の清明祭の日から、昨日までに生まれた子供を報告したりと、にぎやかな清明祭でした。

浜下り(はまうり)とは?

浜下り(はまうり)とは?

『沖縄大百科事典』下巻には(沖縄県内においては)「海浜に下りて災厄を祓い清める習俗、または旧暦3月3日に御馳走を持って海浜へ行き、潮に手足を浸して不浄を清め、健康を祈願して楽しく遊ぶ行事」とある。

 また老若男女が浜辺で過ごしたり、女性だけが浜へ下りる地域などがあり、その他この日に海で亡くなった死者の霊を弔う地域もあるようです。
 浜下りの由来には美男に化けた蛇の子供を身籠もった女性が浜へ下りて身を清め、洗い流したという伝説がある。

浜下り伝説由来とは?

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浜下りの由来

昔々のその昔、ある御殿に姫が生まれた。
それはそれは美しい姫君でして、有りっ丈の愛情を注ぎ育てて来ました。
近隣の村まで噂が立つほどの美貌に育った姫君が17,8歳になった頃、
両親は姫君に悪い男が言い寄らないようにと、御殿を二重にも三重にも番人を置きました。
その姫君は、7重、8重の奥の部屋に居るにも拘らず、毎夜、夜中に騒がしくなる。
異様に感じた奥方は、姫を呼んで訳を聞くことにした。

奥方は、姫に尋ねた。
「姫よ、病気ではないかと思うがどこか悪いのか?」
姫君「別に悪い処はありません。」
姫君は「ただ、此処毎晩の様に、美声の好男子がやって来るのです。
二人で楽しい事をします。」と答えると姫君は何故か、顔を赤らめた。

奥方は「誰だろうね?」と心配して姫に聞いてみたが姫君にも何処の誰なのか、分からないらしい。

奥方は早速、物知りの所に行って、知恵を借りることにした。

物知りは、すぐに言った。
「これは、これは、奥方様。姫さまは魔物に取り付かれていらっしゃる。
今夜、姫君の部屋の襖[ふすま]をちょっと開けて覗いてみると判ります。」と物知りは答えた。

その夜になると、殿様と奥方は姫の隣室にやって来て、襖の蔭から娘の様子をうかがった。

真夜中、案の定、こっそりと美声の好男子が忍んで来るではないか!
殿様と奥方は、顔を見合わせて「ああ、これは何たることか!」と、つぶやいた。

奥方は、翌日、又、物知りを訪ねた。

奥方「やっぱり、美声の好男子がやって来たよ。
その上、何といっていいのか・・・、そのオ、そのオ〜 二人の世界を作っているんです。」

物知り「そ、その美声の好男子は魔物ですよ。
奥方様が紡いでいる麻の糸、着物を紡ぐ長い長い糸に針を通して、
男の髪に挿すとよかろうと思いますよ。男の正体が分かるはずです」と物知りはアドバイスした。

奥方は、すぐに御殿に戻って姫に命じた。
「今夜、あの美声の好男子が来たら、“かたかしら”(結髪、琉球王朝時代の武士の髪形)にこの針を挿しなさい」と

姫君は、すぐに「はい、そのように致します」と答えた。(昔の封建時代は、親の言うことを聞かなければいけなかったから、
素直に聞いた)

奥方は、姫君に「明日、男の髪に挿した糸を辿って、二人で跡をつけてゆくのですよ」と考えを言った。
翌朝、奥方と姫君は、その一本の糸を辿って行った、糸はどんどん延びて行く。
ところが姫君の住んでいる御殿からは、遠く離れた遠い、遠い山の麓[ふもと]にたどり着いた。
糸の端は、暗い洞窟の中へと続いている。

恐る恐る暗い洞窟の中を中を覗いてみると、・・・きゃっ! こ、これは。
暗い洞穴[ほらあな]の中に目ン玉だけが二つ、らんらんと輝やいている。
それは、何と大きなハブだ! これア、た、たいへんだ。

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二人は腰を抜かしそうになった。
転けつつ、ようやく御殿に戻ったが、じっとしてはいられない。知恵を借りようと、震えながら物知りの家に駆けこんだ。
物知りは「奥方様、姫さまを連れて海においでなさい。誰も踏んでいない浜の砂を踏みしめて、海水で下半身をきれいに洗うようになさいませ」と告げた。

翌朝早く、奥方様は姫君を伴って、海に出かけた。誰も踏んでいない白砂を通り抜けて、物知りの言った通りに、海の水で姫の身体をきれいに洗った。
・・・すると、どうでしょう!姫君の身体から足元へ、ウジャウジャと小さなハブの子が、何匹も流れてきた。
姫君はもう一度海に入って、潮できれいにみそぎをした。このようにして、もとのような身体になった。

これが旧暦の3月3日のことだったのです。

その後「琉球の王様が命令を出して、上も下も士族から百姓まで、この日には、ウジュー(重箱)を作って、浜に下りて一日を遊ぶようになった。
“浜下り”は、今や塩日狩りに形が変わって来ているのですが、これも時代の変化に対応した、行事の一つ、昔の人の知恵を何時までも大切に伝えたいものだ。

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